「怒る」ことは必要なのか、果たしてメリットはあるのでしょうか

例えば職場で、すごい怒りをあらわし、怒る上司がいたとします。

その怒り方は、ある意味ヤクザのような恫喝をもって大きな声で怒るのです。

しかも、社内、社外関係なく、怒りやすい人に対して、一気に畳みかけるように起こるのです。

この上司の行く先々では、問題ばかりです。

役所関係をはじめ、公的な施設や役所では、変な意味で一目置かれています。

「あの人は怒らせたら大変なことになる」

「大声で騒がれる」

みたいな感じです。

当の本人は、俺は、間違ったことを言ってはいない、俺ってすごいだろう、みんなを黙らせたということを四六時中周りに言って、確認しております。

みんな、そんなにすごくはないのになぁ・・・それよりも、そんな怒り方して、とっても格好悪いのにと心の中で思いながらも、ちょっとでもそんなに恰好良くないですよ・・なんて言おうものなら、いつものごとく、すごい反撃を食らうので、「はい、とってもすばらしい、とっても格好いい、すごいですね」とこころにもないことを連発しております。

常に俺ってすごいだろオーラが出まくっており、それを自分ではなく、他人に確認してくるのです。厄介です。

他人の肯定確認、これを聞いた本人は、満足です。ニコニコ笑顔です。

まあ、この程度で、ニコニコしていてくれれば、平穏な大海原は、荒れることはありません。

みんな穏やかな海が大好きです。

嵐が起きないように、この上司には、かなりの「忖度」が行われております。

ときに、この「忖度」もこちらが良いと思ってしたことが、実はかれの逆鱗に触れるようなことがあるのです。

そんな時は、ばかばかしいと思ってしまいます。今度からは、そんなに気を使うことなく、言われたことだけしようという気持ちになります。

彼を喜ばそうと、「忖度」していたのですが、それがまずかったということなのです。

そんなことが、たびたび起こると、何か、仕事でよい方向へ向かうために提案しようと思っても、万が一彼の逆鱗に触れ、自分の責任にされたらと思うと、気安く提案などできません。

言われたことを淡々とこなすことが、自分自身を守る、最大の防御なのです。

例え、自分が起こられていなくても、他人が起こられている姿を見るだけで、周囲の気の弱い私のような人間は、委縮してしまい、その日1日は、憂鬱な気分で過ごさなければなりません。

この上司のために、本当に動いてくれる人なんて、最後は誰もいなくなるのではないでしょうか。

怒ることは、動物でも起できます。逆に笑ったりすることは、動物はできません。

どちらが人間らしいかというと、おのずと答えが出てきますね。この場合はメリットはありません。

 

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